興亜観音縁起


松井石根大将は、支那事変の戦役から帰国するや、日中両国の戦争犠牲者を弔うために興亜観音の建立を思い立ちました。そして、本観音堂を開基するにあたり、次のように記しています。

「日中の両国殉難者を祀るためには、相通じる仏教をもってすべきだと思つた。そして各宗派に超越してゐる観世音を祀り、その大慈大非の念力によつて数多の亡魂を救ひ、普く三千大世界を照す観音の光明をもつて、業障を浄徐して、両国犠牲者の霊が、地下に融和せんことを願つたのである。」(「主婦之友」 昭和十五年四月一日発行)

開基の主旨は、松井大将自身の揮毫によって堂内の銅版に次のように書かれています。
 


 

    興亜観音縁起

    支那事変は友隣相打ちて莫大の生命を喪滅す 実に千歳の悲惨事なり 然りといえども是所謂東亜氏族救済の聖戦なり おもふに此の犠牲たるや身を殺して大慈を布く無畏の勇慈悲の行 真に興亜の礎たらんとする意に出てたるものなり 予大命を拝して江南の野に転戦し亡ふ所の生霊算せいれいさんなし まことに痛惜の至りに堪へす 茲に此等の霊を弔ふ為に、 彼我の戦血に染みたる江南地方各戦場の土を採り、 施無畏者慈眼視衆生の観音菩薩の像を建立し、 此の功徳を以て永く怨親平等に回向し、 諸人とともに彼の観音力を念じ、東亜の大光明を仰がん事を祈る

    因に古島安二氏其他幾多同感の人士併に熱海市各方面の熱心なる協力を感謝す

    紀元二千六百年二月

    願主 陸軍大将松井石根誌

敵味方の区別なく菩提を弔おうという松井大将の武人としての優しさに心を打たれます。
 


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