怨親平等 おんしんびょうどうという言葉を知っていますか?

  「怨親平等」− もともと仏教の言葉で、敵味方の恩讐を越えて、区別なく同じように極楽往生させることを意味します。「怨親」とは、自分を害する者と、自分に味方してくれる者の意味です。これが日本では古来、戦いによる犠牲者を敵味方を問わずすべて平等に供養する意味に使われてきました。中世以降、勝利した武将は敵味方双方の戦死者のために敵味方供養塔を建てる慣わしがあり、最も大規模なものは、元寇で戦死した敵味方(元と日本)の供養のために執権北条時宗が建立した鎌倉・円覚寺です。その後、南北朝の動乱時や戦国時代、朝鮮の役、そして昭和に入っての日誌事変でも、敵味方とも供養する碑が建てられました。
  天声人語の名付け親である明治時代のジャーナリストにして漢学者としても著名な西村天因は、 明治35年、日本赤十字社25周年に当たり、大阪朝日新聞紙上で次のように述べています。 「(敵味方分け隔てなくという)赤十字社の精神の如きは、決して西洋の 剏興そうこう(始め興すこと)に非ずして、我邦は古よりこれを実行し来たり(中略)武士道の神髄是なり」
  さらに西村は「儒教より智仁勇の三徳を受け、仏教より降魔の利剣と救世の慈航との調和を受けて」、「情を知」り「物の哀を知る」武士による道が「武士道」だと位置づけ、「敵と為り味方と為るも、前世の因縁にして怨あるに非ずと観じ」、その「敵味方の仁慈と云ふ精神」の発露として、南北朝の動乱と朝鮮の役における歴史的事例を挙げています。これは中世から現代にまで引き継がれた我が国ならではの尊い思想信仰ではないでしょうか。
 


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